島原漫録075(07-08-01)
<実家に帰ってはや2年>
思えば早いもので、仕事を辞めて島原に帰ってから丸2年が経ちました(平成17年7月末で仕事を辞めました) 全く思えば早いものです。
なぜこのようなことになったのかと言うと、当時は父の介護と母の家事手伝いのため、週末はずっと佐世保(当時の勤務地)と島原の往復でした。これに疲れ果て、疲れ果てると正常な判断も出来なくなり、仕事を辞めて実家に帰ったのでした。
辞めた時に決めたこと。
①父の介護と母の家事手伝いをすること。
②最初の2ヶ月は何もせずボ~ッとして、3ヶ月目から何か活動をしよう。
③2年目くらいには収入を得ることが出来るようにしたい。
と言うことでした。では実際にこの2年間に何をやったのかと言うと
①父の介護と母の家事手伝いを行っている。
②最初の2ヶ月は何もせずボ~ッとしていた。
③55歳にしてはじめて自動車運転の免許を取った。
④町内会の役員から依頼されて、総務の役員になった。
⑤島原市福祉センターと保険センターで各種ボランティアの勉強と活動を行っている(特には下記の3つ)
・要約筆記活動と聴覚障害の方々のお世話。
・点訳(点字翻訳)活動と視覚障害の方々のお世話。
・島原市の介護ボランティアの立ち上げに参加。
⑥女性の茶飲み友達も出来た(ボランティア仲間)
⑦島原市市勢振興計画の委員になった。
⑧島原市まちづくり100選の選定委員になった。
⑨上記のようなことを行いながら、島原市の行政と川尻町内会に大分顔を売った。
もともと私はボランティアを行う気持ちは全くありませんでした。でも運命と言うか何と言うか、どっぷり浸かりだしています。ただボランティアの横のつながりで、大分知り合いが増えたのは良かったことです。
私がなぜ島原のボランティアで重宝されているのかと言いますと
①パソコンを使えること。
②男性だからということ(島原でいろんな障害をお持ちの方に対するボランティア要員で、幸か不幸か男性は私だけです)
私は今まで身体に障害をお持ちの方と、お付き合いはありませんでした。でもボランティアを行うようになり、色んな障害をお持ちの方々と知り合えることが出来ました。皆さんそれぞれ苦労しながら、より良く生きる権利がある!と「自己表現」をしておられます。教えられること、感心させられることが多いです。それに比べて私の何と軟弱なことか・・。
私はボランティア、ボランティアと言っていますが、無料で行うものではありません。ちゃんと活動による対価や交通費その他実費をいただく事が出来ます。これはちゃんと決められています。ただ活動費はとても安い。これだけでは生活はとても出来ません。そして出ない時のことがまだまだ多い。ちなみにお金の出所はボランティアを依頼する行政、各種団体(聴覚障害者の団体、視覚障害者の団体、等々)からなどです。個人からの依頼は今のところ無料です。
今月から島原生活2年目に入ります。いよいよ本格的に島原市内かその近辺で仕事を探さねばなりません。たまにはストレス解消もしたいし、パソコンやデジカメも買いたいし・・。
<追記>
一昨日私のプリンタ(エプソンPM950C)が遂に壊れてしまいました。インクカートリッジの設定は正しい(エプソン・ソフトが判断)のですが、いざ印刷時に色が出ないのです。約10年近く?使いましたので、寿命かも知れません。ああ、またお金が出て行く・・。
佐世保でまだ仕事をしていた時に、キヤノンのモバイルプリンタとNECの小型パソコンを買っていました。これは現在ボランティア活動時に持ち運び色々と活躍をしています。当面はこのモバイルプリンタで対応するしかありません。ただインクカートリッジも小型ですので、写真を数10枚印刷するだけで、もうインクが無くなってしまいます。ああ、また出費が増える。


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