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島原漫録062(07-01-28)

<風邪>
 大分良くなりました。完治まであと一歩というところかなあ。

<島原市市勢振興計画策定市民会議のあたりさわりのないこと>
 24日(水)午前中、島原市身体障害者福祉協会の会長ともうお一人(盲目の方)と私の3人で集まり、これからの市勢会議の対応を検討しました。

 身体障害者の側と市役所の福祉関係の側では、福祉対策に関する思い入れが大きく異なるそうです。そうかも知れません。市役所側は健常者ばかりですし、しかも3年くらいで部署が変わります。担当者がようやく障害者のことを理解をしてくれそうになったら、もう別の部署に移されるのですもの。

 市役所側で車椅子に障害者を乗せる訓練をします。その時は障害者の役割の方(健常者)がスタコラ車椅子に歩いていき、どっかと車椅子に座り訓練が終わったと言います。障害者側は怒ります。

 足腰が不自由だから車椅子を使うのです。健常者は両足を紐で縛ってから身を不自由にしてから、車椅子まで歩み寄り車椅子に座ってみなさい。どんなに難しいことか分かるでしょう。

 その他いろんな不具合の実例を教えていただきました。私もこれから関係する法令などを少しずつ勉強して、また身体障害者の活動にも参加していくことになると思います。私はストレスが大分溜まっているので、市役所なんかに怒鳴り込んでウサを発散させても良いなあと思ったりして‥(もちろん冗談です。両親が生きている間は、両親を悲しませるようなことはしません)

<隣家の建築>
 実家の隣は空地でしたが、いよいよ工事が始まりました。30代の男性が1人(独身)で住む家だそうです。道路側に駐車スペース、海側に住居(2階建て)を建てるそうです。

<白土湖のほとり>
 以前は「君の屋」というチャンポンがおいしい中華料理屋さんがありました。現在はそこはつぶれて、新しく喫茶軽食店が出来ています。「白土湖珈琲館」とかいう店名です。外装も内装も落ち着いていて、しかもちょっとおしゃれです。女性が気に入りそうです。30代の男女(ご夫婦?)がお店をしています。

 先日要約筆記サークルの方々とのぞきに行ってきました。私はケーキセットを注文したのですが、なかなかおいしかったです。ここでは「白土湖定食」とかなんとか食事も出来ます。安養寺からの帰りにでも、ぶらっと立ち寄ろうかと思いました。

<ドライバー怒涛の記録>
 去年お亡くなりになられた私の上司だったKさんからのメールでは、「ストレス解消には高速道路をぶっ飛ばすに限るよ。俺なんか東京から青森まで高速を飛ばし、日帰りで蕎麦を食いにいったものだ」

 私の返信「シクシク、島原には高速道路はありません。高速に乗ろうと思ったら、ランプのある諫早まで行かねばなりません。そのうえ今の私は諫早まで行く気力がありません」

 今私は「眉山ロード」という「いろは坂」の多い道路を運転してストレスを発散させています。確かに運転は家事手伝いのストレスとは違うストレスがありますので、それが良いのかも知れません。

<要約筆記>
 27日(土)は定例会でした。2月14日の要約筆記活動の準備等で、筆記の練習はあまりできませんでした。障害者自立支援法では各市で耳の不自由な方には「手話奉仕員」や「要約筆記奉仕員」を付けなければなりません。

 対応しようにも我々サークルのメンバーは少ないのです。それで来年度に「要約筆記基礎課程」の講習会を、長崎県支部長をはじめ講師の方々をお呼びして行う計画を立てています。なにしろ公の場での要約筆記は、この「要約筆記基礎課程」の修了者でないと出来ないのです。

<点訳>
 変わりありません。

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どんべん島物語013(07-01-22)

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ひょうたん池の湖水部分の写真です。両親が元気な頃はここら辺を散歩していたとか。

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どんべん島物語012(07-01-22)

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眉山ロードの途中に「雲仙普賢岳ネイチャーセンター」があります。そこの駐車場からの普賢岳の光景です。ちなみに駐車場に停めているのは私の自動車です。

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島原漫録061(07-01-22)

*<風邪>
 それにしても今年の正月は、年の暮れからの鼻風邪が今でも治りません。精神的なものかなあ。

 と前回のメールに書いてから2週間。今も治りきっていません。この2~3日は寝てばかりです。とにかく両親にうつすといけません。2階の自室に籠る事が多くなりました。ちなみにインフルエンザの予防接種は去年受けています。

<島原市市勢振興計画策定市民会議のあたりさわりのないこと等>
 1月16日(火)に第2回市勢会議の分科会がありました。私は「保険・医療・福祉」分科会に所属していますが、この日は市役所の関係部署から15名ほど参加されていました。我々の質疑に答えるためです。まだまだ話し合い中ですので、決まったものはありません。

 会議の前など、市民代表として出席された方々(私以外はそれなりの地位のある方々)とは積極的に話をするようにしています(顔を売るため) そうしたら父をご存知の方とか姉と同級生の方とかおられました。

 第1回の分科会でもそうでしたが、「あ~、あのSさんの息子さんですか」ということで、父や姉のおかげで、だいぶ顔が知られてきました。ありがたいことです。

 次回は2月6日(火)にあります。順序として私の意見発表の日です。さて私の突飛な意見が通るかなあ。そういえば「ロボット三等兵」を作ったのは「トッピ博士」です。

 なおこれから毎週水曜日の午前中は、島原市身体障害者福祉協会の会長ともうお一人と私の3人で集まり、これからの市勢会議の身障者の対応を検討していくことになりました。

<町内会>
 担当している班長も今年の3月末で終わります。色々面倒なことばかりです。今年はここ「川尻町」町内会の大金持ち「Y屋」の次男さんが市議会に立候補されることになりました。今日(21日)町内会役員の集会があり、この次男さんを「川尻町内会」の推薦にするということになりました。

「Y屋」の次男さん、奥さん、そして父上の「T」さんもお見えになり、挨拶をしていかれました。私は班長として回覧を各家庭に配布しているので、お顔は存じ上げています。それで顔を売る必要はありませんでしたので、「実は私は市勢会議の策定委員になっているのですぜ」と自己宣伝をしてしまいました。

<ドライバー怒涛の記録>
 最近はまた自動車学校の路上講習の自動車とすれ違うようになりました。知っている先生が乗っておられたら挨拶をしようと思っているのですが、お互いに動いている状態の時は、私はまだ顔を見ることが出来ません。無理に見ようとして事故でも起こしたらまずいので、無理して見ようとはしていません。

  警官「なぜ事故を起こしたんだね」
  私 「はあ、自動車学校の先生に挨拶をしようと思ったものですから・・」

 これはまずいですね。

 先日「眉山ロード」を制覇してきました。と言っても急カーブは時速20km位のゆっくりで通りましたが。時々後ろから自動車がせまって来るのですが、その時は左によって「お先にどうぞ」としました。この路に慣れたらいよいよ雲仙へ行きましょう。
 
<要約筆記>
 2月14日(水)は島原文化会館大ホールで福祉大会があり、要約筆記活動をすることになりました。島原のメンバーだけで行います。「三遊亭歌之介」氏の講演がありますが、これは対応しないつもりです(あの早口には我々は対応できません) ちなみに今回はどこのサークルからも助っ人は来ません。

「島原要約筆記会すまいる」の制服が出来ました。薄くて黒いジャンパーです。バレンチーノの偽物でメンバーの知り合いから購入しました。1着500円。資金に余裕が出来るようになったら、本物のバレンチーノのジャンパーを買いましょう。

<点訳>
 2月18日(日)は講師の方が森岳公民館で、子供たちに点字の講習をされるそうです。我々も手伝いに行く予定です。詳しくは未定です。

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どんべん島物語011(07-01-12)

今日は父の「S病院」への定期健診日(2ヶ月に1度。10時~12時) 連れて行くのはヘルパーさんにお願いしている。

父がいない一時でも実家は平和だ。

のんびりしているあいだに父とヘルパーさんが帰ってきた。

前回血液検査をしたのだが、検診結果は「血中の酸素の量が少し足りない。女性ならこの程度でも良いけど・・。それ以外には悪いところはありません」と言われましたとのヘルパーさんの報告だ。

対応をどうしたらよいのかな。このままほったらかしておいて良いのか、何か薬をもらうか、在宅酸素供給器からの酸素の量を増やすか(これは医師の許可が要る。現在は1分間に1リットル)

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どんべん島物語010(07-01-11)

今日はストレスを発散させるために「眉山ロード」を自動車で走った。
初めての場所でしかも厳しいカーブが沢山。当然上り下りもある。

さすがに厳しいカーブはスピードを大分落として通った。
ほとんど路上は私1人だけだったが、時折後ろから接近してくる自動車が来たら、どうぞお先へと追いやった。

この「眉山ロード」でちゃんと運転できるようになったら次は雲仙だ。「眉山ロード」は「雲仙ロード」の練習にもってこいである。

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どんべん島物語009(07-01-10)

午前中は眼の不自由な方の雑用のお手伝い。毎週水曜日の午前中にお伺いしている。

何だか髪がとてもかゆくなったので、午後お風呂を用意して入る。頭をバリバリ洗う。

母が布袋にみかんの皮を入れたのを風呂に入れてくれた。湯の中でもむと、プ~ンと柑橘系のにおいがする。

1時間以上長湯をした。

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どんべん島物語008(07-01-09)

「介護と家事手伝」を書くことは止めた。プライベートなこと、おどろおどろしいことは書かないつもりだったが、ついつい書いてしまいそうだ。

従って今後は単に備忘録的なことのみ書くことにする。

**

朝から「Y病院」へ行き母の薬を貰う。

次に「S病院」へ行き父の薬をもらう。

「N書店」で次の本を購入し、一気に読んだ。

  「霊の発見」 五木寛之 対談者 鎌田東二
    一般的な教養人による対話集である。霊的なことについていろいろ対談されている。
    「発見」というタイトルは大げさ。

  「霊との対話」 アラン・カルディック 著 浅岡夢二 訳
    心霊研究の歴史に詳しい方なら知っている「霊の書」(1850年代後半出版)の著者だ。
    霊の再生を肯定しているところから、スピリチュアリズムに対してスピリティズムと呼ばれた。
    スピリチュアリズムは霊の再生に批判的(でも肯定者も出てきたが)
    これは霊界通信の内容とアラン・カルディックの自伝が載っている。

父がもう何百回も言った、約65年前に聞いたという「この川でフグを洗うな桜町」の場所と思しきところの写真を撮った。あとでプリントして父に見せてみよう。

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どんべん島物語007(07-01-08)

今日は朝からお寺に行き、墓と御堂を正月用の花飾りから通常時の花飾りに取り替えた。
こんなのは造花で良いのだが、母が嫌がるので生花で飾る。両親が死んだら年中造花にしよう。

今日の夕食時も父は延々と休みなくしゃべる。それも何十回も何百回も聞かされたやつだ。18時から食事を始め、18時半には母と私の食事は終わる。父はほとんど食べないでただひたすら喋り捲る。20時を過ぎても父のしゃべりは終わらない。20時を過ぎると私は父をそっちのけにして後片付けにはいる。1時間半も父に付き合って無為な時間を過ごしたのだから、これくらいは勘弁してもらわないと。

朝食も昼食も同様だ。時々父の頭をボコボコと殴りつけたい衝動にかられるが、まあそこはそれガマンしている。
仕事を辞めて実家に帰って父の介護の手助けをするのは、自分で決心したので誰も恨むものではない。とにかく自分自身発作的な行動が起きないように自重はしている。

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島原漫録060(07-01-07)

<謹賀新年>
 あけましておめでとうございます。

 それにしても今年の正月は、年の暮れからの鼻風邪が今でも治り
ません。精神的なものかなあ。

<父のこと>
 父は今まで気づいていなかったのですが、去年の後半頃から「自分はバカになりよるごたる」と意識するようになりました。口でも頻繁にそう言うようになりました。

 新しい出来事は片っ端から忘れていくことを父は「自覚」しだしたのです。食事をしたこと、お客さんと会ったこと、ディケアに行ったこと、病院に定期健診に行ったこと、身内と電話したこと、その他諸々(でも心に強く印象したことは忘れないでいます。身内が手術をしたことなどは今でも記憶に留めています)

 そして今まで過去の思い出はわりと正確に話すことが出来ていたのですが、これも少しずつあやふやになってきました。どうも時系列的なものがあいまいになってきているようです。

<母のこと>
 母の身体が弱って腰が曲がってきていることは、2年程前から私は気づいていましたし母にも注意をしていました。去年の中頃から今度は母の「老人性認知症」が目立つようになってきました。母は「こうしよう」と思っているのですが、実際の行動はそれとは別の行動をするのです。今のところ母は後でそれに気づくので、まだ重症ということでもありませんが・・。特に料理を作る時や買い物の時などに時折起きています。

 母の脳味噌の活性化のためにも「何かサークルに入ったら?」と進めています。とにかく母は父のことを忘れて仲間とワイワイさせてあげないと、早くボケてしまいそうです。

<私のこと> 
 とにかく内へ内へと篭る年老いたボケも出てきた両親と一緒に生活していますので、私も気力がそがれボケるようになってきました。母が「うちは大ボケ中ボケ小ボケの家族たい」と言います。以前も言ったことですが、皆さん「ボケは伝染します」。

 また手先足先のシビレと右首筋の痛みは以前書きました。そのせいか去年は茶碗を洗っている時など数個の食器を落として割りました。今年はそういうことがないようにと注意しています。
 
<島原市市勢振興計画策定市民会議のあたりさわりのないこと等>
 特に動きはありません。

<ドライバー怒涛の記録>
 去年の今頃は路上講習をしていたかなあ。寒い日など島原自動車学校の食堂で食べた「うどん」がおいしかった。私1人がなかなか卒業できず、内心は結構あせっていたなあ。でも卒業までに3ヶ月近くかかったのは予想通りといえば予想通りだった。

 思えば島原自動車学校のT先生にはいろいろお世話になりました。今こうして運転できるのもT先生が熱心に教えて下さったからです。ふと思う。教習所のコースの「S字カーブ」や「クランク」を今でも通ることが出来るかなあ? 今仮免試験を受けたら不合格になっちゃったりして。

 暮れはあちこちに母を乗せて自動車で買出しに行きました。また母から「それ行け、やれ行け、どんと行け」の叱責。思わずジェームス・ボンドよろしく母を座席ごと外に飛び出してやりたいくらい。

 母が免許を取ったら間違いなく暴走族になったろうなあ。もっとも最近は母の声には耳を貸さず、安全運転をすることに慣れました。


<要約筆記>
 特に動きはありません。

<点訳>
 特に動きはありません。

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どんべん島物語006(07-01-06)

母は歯痛が続き食事がろくすっぽ出来ない。食べられないと次の不具合が出てくる。
①食事がわずかになり活力が沸かない。
②したがって便通がますます悪くなる(普段でも悪いので)

それで今日は私が食事の準備と食事の作成と後片付けをした。ただ夕食は冷凍餃子を焼くだけだったので、母にしてもらった。ここ2~3日は母の歯痛が落ち着くまでは、私がほとんどしなければならない。

母は今年からテレビを見ないで本を読む、と宣言した(毎年のことだが) それで今年から母は好きな(母に言わせると活力をもらえる)水戸黄門(昔の分の再放送。石坂黄門と里見黄門はおもしろくないと嫌っている。なぜなら助さん格さんの役者に魅力を感じないからだという)を見なくなった。これがいけないんじゃないかなあ、と私は思う。歯痛が治るまでは水戸黄門を見たらと進めている。

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どんべん島物語005(07-01-05)

<父の介護と母の家事手伝いなどをやっています>

今日母がやっと歯医者に行った。診て貰ったら「歯茎も腫れていないし、おかしいところもみあたらないし・・・」と歯医者さんは首をひねったそうだ。とりあえず痛み止めの塗り薬をもらったそうだ。次の治療は13日(土)午前中に決めてきたそうだ。

母は肉体的疲れと精神的ストレスが大分溜まっている。歯痛は多分このせいだと思う。このために母はあまり食べていない日が3日ほど続いている。寝込んだり病気になったりしないか心配ではある。歯医者は近くでいつも母には運動の意味で歩いて行って貰った。今日は母が疲れないように私が自動車で送迎した。

今日は父の何百回?も繰り返して話す思い出話を、割と辛抱強く聞いてあげた。

父が18歳の時、生まれて初めて親元を離れて1人で吉塚駅(博多駅の隣。当時ここに専売公社があったそうだ)に行き、専売公社に行こうとした。ところが歩けど歩けど専売公社はおろか人家がちっとも見当たらない。困った父は向こうからやってきた人に聞いたら、何と東公園の中だったという。つまり道を間違えて東公園の中をウロウロしていたものだから、人家も何もなかったのだ。

最初聞いた時は確かに笑えたが、この話を何百回も聞かされてごらん、もういいかげんいやになってしまう。もうそれは何百回も聞いたよ、煩いから黙っといて、と何度喉元まで出掛かったかわかりゃしない。

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介護と家事手伝004(07-01-04)

今日は御用始。東京で就職した頃を思い出す。あのころは仕事はきつかったが、会社全体が家庭的で楽しかった。社長からお年玉をいただき、会議室のお寿司とお酒で景気を付けて明治神宮へ行ったものだ。

母はここ数日歯を痛めている。今日は歯医者も開いているだろうから行って来たらと私が言うが、正月早々行きたくないと言う。現在80歳の母は食べて元気をつけているのだが、今はそういうことでほとんど食べていない。母の体力が心配だ。今週中に歯医者に行くように説得しよう。

母は上下ともほとんど入れ歯だ。この前入れ歯をはずし化粧を落とした母を見たが、北有馬のばあちゃんの幽霊が出たのかと思った。驚いたのなんのって。

かくいう私もずっと両手両足の先がしびれている。おまけに洗剤を使って毎日洗物をしているせいか、手先の指紋が消えかかっている。おまけに脂分まで抜けてきた。それで最近は手に持った物を良く落とすようになった。大事な茶碗や皿をもう4枚落として割ってしまった。

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介護と家事手伝003(07-01-03)

もう正月3日目だ。実家の正月道具は早々とすべて片付けた。もう長いこと両親と私だけの3人の正月だ。本当は正月の行事なんてしなくても良いと思うのだが、母はそういうわけにもいかないようだ。父は正月になったことさえすぐ忘れてしまう。

正月の料理を作るだけで、母は疲労困憊してしまう。来年はおせち料理はどこからか買おうと私の提案。その時は福岡に行って購入しよう。

去年からの鼻風邪がなかなか治らない。だいたい楽しいことがひとつもないのだから仕方がない。どこぞの奥様は長年喘息で悩んでいたが、介護していたご主人が亡くなったら喘息が治ってしまったそうだ。良く分かる。

私の悩みは次の2つ。

①将来の老後の経済的不安(今はまだ良いが・・)

②父は私の顔を見つけると、もう昔話(何十回も・・おそらく百回以上も・・)をベタベタベタとねちっこく話す。父の数少ない楽しみのひとつは、家族のものに(母と私)昔話を延々とすることだが、もう私の耳にタコがごっちゃり出来た。最近私は父が話し出すと少々邪険にする。ボケ老人が同じ事を何度も話しても「それはもう聞いた」と言ってはいけないことは介護のイロハである。そうは分かっていても聞くほうはたまらんなあ。私の方がノイローゼになりそうだ。

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介護と家事手伝い(07-01-02)

お昼頃「八幡神社」に初詣に行った。そのため朝の屠蘇は杯一杯で止めておいた。

予想どおり母は行きたくないという。父はもちろん行ける状態ではない。

それで例年のように私は1人で初詣に行った。いつもと違うのは、今年は私が運転するマイカーで行ったことかな。

正月なので昨日今日と朝から父を起こして、一緒に屠蘇を飲み正月を祝った。

父は、もう何十回何百回は言った昔話のあれこれを、さも初めて言うようにしゃべりまくる。本当にもううんざりするように喋り捲る。そのくせ母や私の思い出話などはちっとも聞こうとしない。父はだいぶ「認知症」だがむかしながらの人間なので「家長」としてのプライドがとても強い。家をしきるのは自分であるとの認識が強い。それでしきれれば良いのだが、しきれないから面倒くさい。

母も少しずつではあるが、老人性のボケを感じる。また島原の方言で「かたぎる」(意固地に自分の意見が正しいとして強く主張する、ようなもの)頻度が多くなった。

父も母も内へ内へと精神状態がなってきている。つまり家の中だけの生活に安らぎを得てきている(父はその傾向がとても強い) 私の精神状態もその中に入って、閉じこもり状態になってしまいそうだ。

私が外に出て講習会などに参加しているのは、自分が閉じこもり状態にならないようにするためだ。

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介護と家事手伝い(07-01-01)

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今日は10時ころから屠蘇で新年を祝う。父は酔いがまわったか同じことを何度も繰り返ししゃべる(酔ってなくてもしゃべるが・・)
母も酔いがまわったか、雑煮を私と母用についでコタツに入ってからは動かず。
父の雑煮の用意と後片付けは私がした。

初詣は私1人で明日行く予定。父はともかく母も出かける気力がないとのこと。私も1人で行く初詣にも、もう慣れた。

年賀状は私が父の枚数と肩を並べるようになってきた。

以前のように親元を離れて仕事をしたい。稼ぎたい。とにかく私個人の老後が不安。

母からお年玉を貰った(1枚) この歳(もうすぐ56歳)になってお年玉を貰うのは照れくさい。

私は仕事をしていた時は、毎月両親に小遣いとして3万円渡していた。

無職となった私は、今はもうできない。

とにかく両親を看取ってしまえば、私の人生の役割も終わる。

      

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